理想 : 好きなことを好きなだけ。

広く浅く、いつかの話。

親の望む通りに生きる私

BGM:Best of Korean Soundtracks

 

私は比較的人の望むように生きてしまう方だと思う。

学校では手のかからない、勉強も運動もできる優等生。
電車に乗るとき、道を歩くとき、人と話すとき。
こういう風にしたら喜ばれるな、こうしたら楽だろうな、といろいろ考えて行動することが多い。

それは、心のどこかで「人にされたいことをする」という考えがあるからだと思う。
やっぱり根底に幼い時に教わったことがあるんだなあ、良くも悪くも。

それはいつしか、家族の中でも、親の前でもそうなってしまった。
もちろん昔は無意識にやっていたか、考えなしに嫌な思いをさせていた。
でも、成長して、私は人の望むように生きがちだと自覚してからは、いろいろと意識してしまうようになった。
一時期はあまりにも気をまわしすぎて、家にいるのが、帰るのが本当に苦しかった時期もあった。
家を出た今も、実家に帰るとどうしても「いいこども」を演じる瞬間がある。

 

いいこども。
私は親に喜ばれる生き方を意識してする。

親にとっては別に悪いことではないと思う。
でも私はときどき考え方の違いに葛藤し、望む通りに生きられなかったときには罪悪感に苛まれる。

 

ドクターには調子が悪い原因が分からないと言っている。
確かにはっきりとした原因やきっかけではないかもしれない。
でも、私のこの生き方がじわじわと私を苦しめているんだろう。

今さら、どうしたらいいのだろうか。
罪悪感を感じると、それを打ち消そうと親に対して言い訳をする。
特に聞かれているわけでもないのに。

これが原因で近しい人と今までにないくらいお互いを傷つけあったことがある。
今でも私の中ではそれがわだかまりとして残っていて、いまだにぎこちない。
本当のところは分からないけど、相手も同じようなことで苦しんで、きっと私よりも先にこの葛藤から抜け出したんだと思う。
親を傷つけてでも、自分の生き方を選んだ。
手段は褒められたものではないけど、自分の意思を持って行動したその人はある意味うらやましくもあり、少し尊敬する。

親はたぶん、自分の考えを私に押し付けていることには気が付いていないんだと思う。
価値観の違いを除けば、本当に大切に愛してくれていて、今でも私の健康を願っている。
それは分かっている。
それでも、親の望む通りに生きる私はどこか苦しみから抜けられずにもがいている。
親を失望させたくない。でも、私の価値観で生きてみたい。

一方で、親の価値観を抜けたときに、私はどうなってしまうのかという恐怖もなくはない。
今までは言われたことをすれば間違いではなかったから。
自分の考えで、責任で生きていくことが果たしてできるのか。

 

…こうして文字にしてみると、考えすぎな部分があることもよくわかる。
それでも私はしばらくこの問題に悩んでいくんだろうな。