思考の記録
BGM:BTOB
タイトルを迷った結果、なんだか抽象的な感じになってしまった。
考えが全然まとまっていないまま、手がキーボードを打つのに任せて書き進めております。多分まとまりもなく、分かりづらく、な内容になってしまうことでしょう。
今日の午後まで、わりと憂鬱というか、はっきり言って沈んでた。
この頃感情の波が激しくて、しかも低い位置で波打ってる感じ。
頑張りたい気持ちについていけない本音の部分が抗いまくった結果というか。
弱気な、後ろ向きな、暗い、モヤモヤした部分をまじめな気持ちが小さい体で必死に引っ張りすぎて疲れ果てた結果というか。
最近よく頭をよぎっていたのは、「心がすり減る」「体がついていかない」「こんな生活が永遠に続くのか」「つらい」…主にそんな言葉だった。
(今考えると、同じ生活がずっと続くことなんて経験からしてもめったにないのにね)
これは、「つらい」「大変」ということを必死に自分自身に訴えかけることが続いている、厳しめに言えばその場でうずくまって駄々をこねて、「自分はこんなに大変なんだよ!聞いてよ!慰めてよ!何とかしてよ!」っていう状態だったわけですね。
今日の午後やったことは、メンタリストやらモチベーションやらの動画をみたこと。つまり、正のオーラを持った人に近づいたり、どうしたらこの大変な状況を抜け出せるのか、具体的な意見や考えを持った人に聞きに行くってことだった。(正確には、もういろいろ考えすぎるのをやめたいな~、と思って、YouTubeで「考えすぎ やめる」って調べたんだけど)
これは結果的によかった。
これまでも、つらいな、考えすぎるな、ってときに音ゲーをして思考を止めるっていうことはよくやってたんだけど、今回はそこから一歩進んで、現状脱出を求められたのがよかったな。
友達に相談できなくても、親から答えを得られなくても、お金を払って自分に合ってるかどうかわからない本を買わなくても、ネットからいくらでも情報をかじれる時代に生まれてよかったなあと思ったり。
で、そこから得られたこと。
結論から言うと、「感情に関すること」だったんだよね。これって、結構前から自分の課題だなあと感じていたことなんだけど。冒頭に感情の波が激しすぎるって書いたみたいにね。
まず、感情を観察することでコントロールするっていうこと。
感情と行動を切り離すこと。
そもそもそうすることが必要なのか?を考えること。
感情がなかったらどうしているのか?→それを行動にうつそう、ということ。
常に3つくらいの道を、手段を考えよう、ということ。
なるほどなあ、ということばかりだった。
前に宣教師に「感情に支配されるな、信仰を信仰生活の列車の先頭にしろ」と言われたことに通ずるものがあるな、と思ったり。
今週を振り返ってみると(突然号泣した日もあったり)、やっぱり感情にものすごい影響を受けてたし、なんならものすごい振り回されたりしていたんだけど。
大事なのは、不安に思うことは普通の反応で、そう思う自分のことを否定したり、責めたりしないということ。
今日、昔からの友達で、ある意味先輩と長電話していたんだけど、その人も同じようなことを感じて、苦しんでいたんだな、となんとなく仲間意識を感じたり。
…やっぱりまとまりはなかったけど、学びあり、復習あり、慰めありの怒涛の午後でした。